【読んだ】『「雲」の楽しみ方』

5月 26, 2010

雲

空を見上げてきれいな雲だったりすると反射的に写真に収めたりすることがよくあるでしょう? 僕はよくある。でも、その雲にはきちんと名前がある、ということを知ったのはごく最近だ。すべての雲には1つ1つ名前があって、その成因や見える状況がまったく違う。たとえば雲の代名詞である積雲は、暖められた大気が対流によって上空へと運ばれることでできる。だから積雲を見るのは青空の日が多い、といった具合。

雲は高さと形で10種雲形のいずれかに分類されている。これは世界中で共通している分類方法だ。土地によって呼び方が変わったり(むらくもや入道雲など)、さらに細かく分類されていることもあるが、とりあえず10種雲形を知っていれば、世界のどこへ行っても同じ雲として見ることができるようになる。

こうしたことは簡単な気象学の本にもひと通り書いてあるので、読めばそれなりにわかった気になる。でもクラウドウォッチャーの視点で書かれた本書を読むと、知識として分かるだけでなく、見て楽しみたいという気持ちが生まれてくるのが不思議だ。クラウドウォッチャーというのは、名前の通り雲を見て幸せになれる人たちのこと。「目的もなく、肩肘も張らず、人生をまじめに生きるためのクラウドウォッチングという楽しみを称える」というのが本書だ。

そもそも気象の本として、本書はかなり異例だ。なにしろ340ページあまり、雲のことしか書かれていない。写真もそれなりにあるのだけど、95%くらいは文章。雲の外観や発生のメカニズムといった気象学の話だけでなく、詩人や思想家、神話や宗教などから集めた雲のエピソードがたっぷりと仕込まれている。科学と芸術を分けることなく雲を愛でるというのが本書のスタンスで、読み進めているうち、いつのまにか雲を眺めるのが好きになってしまう(楽しそうに思うようになる)。そういう伝染力の高い本だ。

この本を読んだあと、自分自身に小さな変化もあった。去年沖縄で撮った写真をパソコンに表示したときのことで、朝日を浴びてもくもくと成長している雄大積雲や、シラスと呼ばれる秋によく見られる巻雲、光芒をのぞかせる高積雲など、たくさんの種類の雲が映っていたことに気づいたのだ。当時、雲はさまざまなダンスを自分の前の前で踊っていてくれたのに、僕はそれをまったく見ていなかった。ショックを受けると同時に、少し申し訳なく思ってしまった。本書を読まなければ、これからも旅先で素敵な雲に出会っても気づかずすれ違っていたかもしれない。

朝目覚めて、まず天気を見るという人は多いでしょう。それと一緒に雲を探してみると、空を見上げるのが楽しくなるかもしれませんよ。

雲を眺めるのが好きになる本
「雲」の楽しみ方


【読んだ】『天気で読む日本地図』

5月 25, 2010

日本の各地には、天気を予報するための言い伝えが残っている。「山に暈がかかると雨」「夕焼けがきれいだと晴れ」「鐘の音がよく聞こえたら、2、3日で雨になる」といったものがそれ。山や雲の流れ、沖合の波を見て、天気を予測することを「観天望気」といい、日本人は古来より、風を読む技術を大事にしてきた。日本中に存在する観天望気を,アンケートや聞き取りで集めたのが本書(すでに絶版)だ。

観天望気はもともと、漁民や沿岸の船乗りの人々の間で生まれ、発展した。漁の前に風を読み、雲の流れを見て、出漁を判断することが必要だったからだ。風を見誤れば、命を失うことだってあるのだから、観天望気の技術が大事にされてきたのは当然だろう。その内容は現代でも有効で、天気の専門家に「局地の天気は観天望気にはかなわない」といわしめるほど。

しかし今漁師や船乗りでこの観天望気ができるのは80歳以上の人しかいないそうだ。理由はよくわからないが、テクノロジーが発展して経験や感に頼らなくても天気を(ある程度)正確に読めるようになったせいかもしれない。世界には粛々と受け継がれるものもあれば、受け継がれずにこぼれ落ちていってしまうものもある。

観天望気の伝承とともに消えようにしているものがほかにもある。それが、風の名前だ。「木枯らし」「北風」「台風」「春一番」など、風には名前があって、普段から耳にするものも含まれている。『風の事典』によると日本には2145もの風があった。風に名前が付けられたのは、1つには後世の人への警告だ。突然の強い風で命を失った人たちが、大勢いたということだ。しかし、社会の変動とともに風の名前を生活の言葉として口にする人が減っていき、今、多くの風が消滅の危機にある。

風の名前が消えつつあるのは、必要性がなくなったから。そういえば、聞こえはいいかもしれない。しかし現代を生きる人だって、風の脅威から完全に解放されてはいない。強風で船が沈んだり、電車が倒れたりというのは、今もたまに聞く。またレジャー目的で海水浴や海釣りに行った人たちが、高波にさらわれるなどの事故にあうことも多い。そこで「風を肌で感じること」が大事だと著者は言う。携帯電話やパソコンを使って、その場の天気を簡単に調べられるようになったが、データだけで安心していると判断を見誤ってしまう。風を受けて、どの方向にどれくらいの強さでふいてくるかを判断する。そしてどの風が怖いかを最低限知っておくことが、自分の命を守ることになるのだという。

参考にしたいのが携帯電話などを使った観天望気だ。湘南のサーファたちは、いい波にのるため、携帯電話を使って情報を交換しているんだそう。「いい波が来そう」とか「そろそろ危険だよ」といった情報を互いにやり取りして、サーフィンを安全に楽しんでいる。古い観天望気がなくなりつつある一方で、新しいツールを使って観天望気を行う人たちが増えているという話だ。観天望気がすたれても、海の知識や風読みの技術が必要なくなるわけではない。海がうねり始めると、100回に1度は大きな波が来るという。海へふらっと遊びに行っただけの人でも、そのことを知っているかどうかで、危険への対処は大きく変わるだろう。

昔の日本人は風を読むことができたと聞くと、とてもロマンチックなことのように思える。画面のボタンを押すだけでその日の天気や週間の天気がアイコンで表示できる便利な時代だから、なおそう思うのかもしれない。都市で生活していると風の脅威を感じることは少ないし、年に1度くらいしか海にいかない僕のような人間は、天気を見て身を守る必要もない。でもビルの隙間からのぞく雲の流れを見て、風を読むフリをするのもいいじゃないか、と今は思っている。


天気で読む日本地図―各地に伝わる風・雲・雨の言い伝え (PHP新書)


やっぱりすごかった『アリス・イン・ワンダーランド』

5月 11, 2010

『アリス・イン・ワンダーランド』見てきました。3Dってだけでも1.5倍はおもしろいと感じてしまう体質なのかもしれませんが、CGを駆使した映像にはただ見とれました。3DとCGの相性が良いということもあるのでしょうけれど、最近のCGは本当にすごく進化していますね(日本の映画は100年かかっても追いつけるのかと心配になるほど)。ここ数年は映画館へ行くことがめっきり減って、もっぱら家でDVDやWOWOWを見ることが多かったのですが、アバター、アリスと立て続けに見てしまいました。3Dを体験するため積極的に劇場へ足を運ぶことが今後はさらに増えるように思います。

3D映画と2Dの映画は、映像体験として決定的な違いがある、と思います。それは知覚に作用するということです。ティムバートンが天才だなと思うのは、最初の3D映画でアリスをテーマに持ってきたことです。

「不思議の国のアリス症候群」ってご存知でしょうか?

Wikipediaによると「知覚された外界のものの大きさや自分の体の大きさが通常とは異なって感じられることを主症状とし、様々な主観的なイメージの変容を引き起こす症候群である」とのこと。3D映画は、まさにこの「不思議の国のアリス症候群」を引き起こすものと考えられませんか?

そして思い当たるのが、映画では目に関する描写が異様に多かったということ。ネタバレにならないように言いますと、目の大きな役者にチェシャ猫、目玉に固執するヤマネ、目玉を突かれるジャブジャブ鳥やバンダースナッチなどなど。眼球への執拗といえるほどのこだわりは何を表しているのでしょうか? アリスが元の世界に戻るときにもマッドハッターの目がモーフィングっぽく使われました。意図的にしろ、意図していないにしろ(そんなことあるんでしょうか!?)、見ている人の知覚に最大限の影響を与えるに違いありません。

ティム・バートンは、あの手この手を通じて、視覚的にもテーマ的にも見ている人たちをワンダーランドへと誘ってくれた、というのが僕の印象です。私たちが知覚している世界は、もしかしたら脳の中にしか存在しないのではないのではなかろうか? ただの娯楽と思って見ていたつもりが、いつの間にか変なことを自問していることに気づかされたりもします。

3Dの効果を最大限に体験できるという点ではある意味アバターをもしのぐと言ってもよいでしょう。2Dで見るにはあまりにももったいない映画と思います。ぜひ劇場で見ることをおすすめします!

アリス・イン・ワンダーランド オフィシャルサイト


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